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ウラジーミル (ウラジーミル州) : ミニ英和和英辞書
ウラジーミル (ウラジーミル州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ウラジーミル (ウラジーミル州) : ウィキペディア日本語版
ウラジーミル (ウラジーミル州)[す, しゅう]

ウラジーミルヴラジーミルロシア語:ヴラヂーミルラテン文字表記の例:')は、ロシア都市である。ヴラジーミル州州都で、ヴォルガ川の支流クリャージマ川の河畔に建つ。モスクワの東200kmに位置し、モスクワとニジニ・ノヴゴロドとを結ぶ高速道路A7の沿線。ウラジーミル駅はモスクワからウラジオストクの間を結ぶ鉄道の途中の駅で、モスクワからは電車で約3時間ほどかかる。またセミャージノ空港を擁し、冷戦時代にはドブリンスコエ空軍基地があった。人口は2002年国勢調査で315,954人、1989年ソ連国勢調査では349,702人だった。
ロシアの古都の一つで、ウラジーミル・スーズダリ大公国の首都として栄えた。いわゆる「黄金の環」を構成する都市の一つ。1108年頃にキエフ大公ウラジーミル・モノマフにより要塞として建設されたといわれる。この要塞は、ロストフ・スーズダリ公国(ウラジーミル・スーズダリ大公国の前身)の南東を守るものであった。13世紀には北東ロシアの中心になったが、その後のモスクワの興隆と共に地方都市的存在になってゆき現在に至っている。
名所名跡も多い。1992年、ウラジーミル市の聖堂群は近郊のスーズダリ市に残る聖堂群とともに、「ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群」として、ユネスコ世界遺産に登録された。''ヴラヂーミルラテン文字表記の例:')は、ロシア都市である。ヴラジーミル州州都で、ヴォルガ川の支流クリャージマ川の河畔に建つ。モスクワの東200kmに位置し、モスクワとニジニ・ノヴゴロドとを結ぶ高速道路A7の沿線。ウラジーミル駅はモスクワからウラジオストクの間を結ぶ鉄道の途中の駅で、モスクワからは電車で約3時間ほどかかる。またセミャージノ空港を擁し、冷戦時代にはドブリンスコエ空軍基地があった。人口は2002年国勢調査で315,954人、1989年ソ連国勢調査では349,702人だった。
ロシアの古都の一つで、ウラジーミル・スーズダリ大公国の首都として栄えた。いわゆる「黄金の環」を構成する都市の一つ。1108年頃にキエフ大公ウラジーミル・モノマフにより要塞として建設されたといわれる。この要塞は、ロストフ・スーズダリ公国(ウラジーミル・スーズダリ大公国の前身)の南東を守るものであった。13世紀には北東ロシアの中心になったが、その後のモスクワの興隆と共に地方都市的存在になってゆき現在に至っている。
名所名跡も多い。1992年、ウラジーミル市の聖堂群は近郊のスーズダリ市に残る聖堂群とともに、「ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群」として、ユネスコ世界遺産に登録された。)は、ロシア都市である。ヴラジーミル州州都で、ヴォルガ川の支流クリャージマ川の河畔に建つ。モスクワの東200kmに位置し、モスクワとニジニ・ノヴゴロドとを結ぶ高速道路A7の沿線。ウラジーミル駅はモスクワからウラジオストクの間を結ぶ鉄道の途中の駅で、モスクワからは電車で約3時間ほどかかる。またセミャージノ空港を擁し、冷戦時代にはドブリンスコエ空軍基地があった。人口は2002年国勢調査で315,954人、1989年ソ連国勢調査では349,702人だった。
ロシアの古都の一つで、ウラジーミル・スーズダリ大公国の首都として栄えた。いわゆる「黄金の環」を構成する都市の一つ。1108年頃にキエフ大公ウラジーミル・モノマフにより要塞として建設されたといわれる。この要塞は、ロストフ・スーズダリ公国(ウラジーミル・スーズダリ大公国の前身)の南東を守るものであった。13世紀には北東ロシアの中心になったが、その後のモスクワの興隆と共に地方都市的存在になってゆき現在に至っている。
名所名跡も多い。1992年、ウラジーミル市の聖堂群は近郊のスーズダリ市に残る聖堂群とともに、「ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群」として、ユネスコ世界遺産に登録された。
== 歴史 ==

=== 創建 ===
ウラジーミルの創建の年は伝統的には1108年とされる。これは『原初年代記』の1108年の条でウラジーミルが言及されるためである。ここから、1093年にウラジーミルを含む地方をロストフスーズダリ公国の一部として相続したキエフ大公ウラジーミル2世モノマフがウラジーミルの町を建設し自らの名をつけた、という説が生まれている。1958年には市の創建850年祭が祝われ、街の中心には当時作られた記念碑が多数飾られている。
これに対し1990年代、ウラジーミルはこれよりも古くからあったという説が登場し論争となった。原初年代記のイパチー写本(Hypatian codex)の解読を行う学者たちが、この地にウラジーミル1世990年に訪れたという記述があることから、創建年もこの年に移動すべきとする見解を明らかにした。2005年に可決されたウラジーミル市憲章(基本法)では990年を創建年としている
一方、1108年創建説を支持する学者は、新説に対し捏造ではないかと反論している。近隣の古都スーズダリ1024年に初めて言及されているが、12世紀のスーズダリ住民はウラジーミルを「若い街」と呼びその支配者を傲慢に扱っていた。年代記ではスーズダリの人々はウラジーミルの人々を自分たちのホロープ(奴隷)であり子孫であると呼んでいる。12世紀から13世紀初頭にかけての抗争でも、ウラジーミルはスーズダリやロストフに比べ「若い街」と繰り返し書かれている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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